Communicating Vessels
-Communicating Vessels -
ヤン・シュヴァンクマイエル,エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァ展
2月26日ー3月24日 University Gallery, キュレーター;Donna Roberts
映画ルナシーの公開も記憶に新しい、新鮮度No1のシュルレアリスト・シュヴァンクマイエル。いやー、葉山のシュヴァンクマイエル展以来です、生シュバ様をおがめるのは。しかも、自分の在籍する大学の美術館での展示なんて!毎日通えと言ってるようなもんじゃないか!
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Week16 シュルレアリスムと女性2

表現される女性から表現する女性へ―
続きです。前回は男性視点の内容だったので今回は女性シュルレアリストに注目。「○○の恋人」というレッテルに屈することなくシュルレアリストとして奔放に生きた彼女たちはカッコイイ!
LEVEL3:アーティストとしての女性
肉体的欲望の対象として、また奔放さの象徴としてインスピレーションを与える存在だった女性シュルレアリストたちも自分の声を持ち始めます。男性視点に反発するもの、それを逆手に取るもの、さまざまな方法で男性シュルレアリストにひけをとらない作品を残しています。ウニカ・チュルンの「ジャスミン男」とキャリントンの「ダウン・ビロウ」は、精神的に不安定な時期に書かれた物で、その不条理さはブルトンの「ナジャ」に勝るとも劣らず。(多分ナジャが一人称で書いたらこうなるんじゃないだろうか。)彼女たちは「生物学的に」男よりも非論理的・不合理的だと信じられていた女の特性を隠すことなく前面に打ち出したのです。
オッペンハイムは「女性から見た」フェティシズムを追求しました。そのフェティシズムはその特性上男性視点なのですが、それをあえて女性が視覚化することで、男性主体の「覗き見的」視線を意識させるのです。



ブルトンたちの後輩世代、1930年代後半ー1990年に活躍した3人娘レオノーラ・キャリントン、レメディオス・バロ、レオノール・フィニ。特にバロとキャリントンはブルトングループとの関わりはあったものの女同士の友情の方が固く、二人でシュルレアリストゲームに興じていました。彼女たちの特徴は少女や動物をモチーフにした幻想的作風の絵画、自己イメージを投影した女性が主人公の文学作品など。自由さ、繊細さ、感受性の強さが表れています。

Woman leaving the psychoanalyst/Varo
「男性主観」のフロイトを捨てる女↑

Embroiderring Earth's Mantle/Varo The Spinners/Leonor Fini
編み物・料理・養育など女性の労働を錬金術的な創造と結びつける↑
LEVEL4:仮面としての女性性
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Week 16 シュルレアリスムと女性
クラスが休みだった先週のうちに話題のシュヴァンクマイエル展のレポでもUPするかな、と思ってたら体調崩して何もしないまま今週に(汗)。近いうちにがんばって更新しますわ。
The Rape/Rene Magritte
シュルレアリストは性差別者か?
フロイト主義で男性中心のシュルレアリストグループにおいて女性はこの絵のように欲望の対象でしかないのでしょうか?これはブルトンの「シュルレアリスムとは何か」の表紙にもなった絵ですが、表紙がそのままタイトルの答えになっているとしたら・・・ものすごくシュルレアリスムが単一的で薄っぺらなものに誤解されてしまいそうです。
もちろんシュルレアリスムは「男(芸術家)→女(対象)」の一方通行だけではありません。今回はシュルレアリスムにおける男性と女性の関わりを4つの段階にわけて見ていきます。
LEVEL1:オブジェクトとしての女性
まずは一番わかりやすい欲望の対象としての女性像。男性の視点でみた女性の体はしばしば、部分化され、誇張され、または抽象化され、エロティシズムやフェティシズムを意識させる姿になります。また、女性=受動者、犠牲者という見方をされるのもこのグループの特徴。モデルはアーティストの妻やパートナーであること多し。

↑Unica/Bellmer ベルメールのパートナー、ウニカの緊縛写真

↑Man&Woman/Giacometti 抽象でもわかる男女の関係

↑Homage to Mack Senetto/Magritte 文字通りオブジェクト化された体
あとは、アンダルシアの犬なんかもここに入りそうですね。
LEVEL2:インスピレーションの源泉としての女性
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Week15 シュルレアリスムと写真2
前回はいわゆる「操作」が加えられた写真を紹介しました。今回は一見普通に見える写真のシュールな魅力についてみていきます。
ボワファールとアジェのパリ・都市のラビリンス
ボワファールはバタイユのドキュマンの写真で有名ですが、今回はブルトンの「ナジャ」の写真を取り上げます。パリが舞台となるこのノンフィクション小説はところどころに彼の写真がイラスト代わりに散りばめられています。そのほとんどがパリの風景であり、この小説の主人公は実は都市そのものなのだと思うほど。ナジャは、ブルトンが「ナジャ」という不思議系女性と出会い、惹かれ、そして別れるというそれだけの話なんですが、アンカニーなことがたびたび起こるわけです。イラストでなく写真を使ったのもそこにドキュメンタリー性を持たせ、フィクションとの差別化をはかろうとしたためだと思われます。ブルトンもナジャもパリに住んでいながらどこか冷めた目でパリを見ている節があり、ボワファールの人のいないパリの風景写真は彼らの目からみた「もう一つのパリ」といえるでしょう。
右上の窓に見える人が銅像と同じポーズをしてるように見えて気味悪!↑
ウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget)の写真は、古きよきパリの風景を撮影した、記録写真としても価値のある作品です。ボワファールの写真と同じくパリは人間が姿を消し、閑散とした姿をみせています。(もちろん人がいるのもありますが)シュルレアリスムのコンテクストで良く出てくるのがコレ↓
Eugene Atget
ボワファールもアジェもパリを華やかな都市でなく人に「見捨てられた町」として写真に留めているだけでなく「マネキンや銅像に取り付かれた都市」として表現しているのが面白いところ。彼らの表情やポーズは活き活きとしていて、かつ不穏な静寂を留めています。
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Week 15 シュルレアリスムと写真
Week 15 シュルレアリスムと写真
レポート&試験期間中真っ只中です。みんな気が立っていて、ピリピリした空気を感じます。ちょっとでも暇なそぶりをみせようものなら…。

そんなテンション張り詰める中 授業参加者数8人という最小記録を本日更新しました。(これからまた減っていくと思われ)
さて 今日は写真です。シュルレアリスムと写真。

Man Ray/ La Marquise Casati
1978年、ロンドンのヘイワードギャラリーでDada&Surrealism Reviewedという展覧会が行われました。キュレーターは我らがドーン。そうです、Undercover Surrealism が生まれる元になった展覧会です。
何が見直されたか(reviewed)というと、絵画でなく機関誌や写真を中心に企画されたこと。「シュルレアリスム革命」には始め、絵でなく写真が掲載されていたことを考えるとまさに 原点でありながら盲点であった資料にはじめてスポットを当てた展覧会と言えるでしょう。
(雑誌「シュルレアリスト革命」は科学雑誌「La Nature」の表紙構図をパクり、写真をイラスト代わりに載せることで偽科学的/学術的側面を打ち出そうとした)
写真にはシュルレアリスム絵画であったようなオートマティスムVS夢のイメージという対立構図はありません。むしろどちらの側面も包括していると言えます。
写実的な夢のイメージに近いことは分かるけど、抽象の多いオートマティスム にどこが似ているのか?
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