シュルレアリスム実践メモ

学問としてシュルレアリスムを学ぶ管理人が(体を張って)シュルレアリスト・アート、ゲームを実行するブログです。シュルレアリスム初心者から専門的に学ぶ人まで楽しめるようにしたいとおもいます。

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Week 6 チューリッヒ・ダダと抽象芸術ーアルプー

WEEK 6 チューリッヒダダと抽象芸術 2


       - ア ル プ ー


       


ダダにおいてもシュルレアリスムにおいても欠かせないのが


ジャン(ハンス)・アルプ



残念ながら第一次世界大戦以前の作品は(おそらく彼自身によって)処分され残っていませんが、その後の活動で、スタイルを何度か変えながらも、かなりの作品数を残しています。


 


戦争が始まる以前、ヨーロッパを旅してカンディンスキーピカソ、その他いろいろな前衛芸術家と親交をもったことも知られています。そんな刺激的なメンツに刺激されてか、アルプの芸術には独特の哲学が染み付いるようす。


その例が「具象芸術Concrete art」。


彼は自分の作品を決して「抽象」とは呼びませんでした。


抽象芸術というのは元の形から「抽象化」された作品のことであり(キュビズムなど)、彼の作品は最初からそういう形であるので


具象である、というのが言い分です。


またいわゆる一般的な具象画を「現実のイミテーション」だとし批判していました。


特徴として絵でなく、コラージュ、レリーフ、彫刻のようなカンバスを越えた作品を多く残しています


  


1914 Before my Birth コラージュ


1914には、とある学校の壁を装飾する依頼をオットー・ヴァン・リースと共に受けます。


その学校自体なかなか革新的で自由な校風だったらしいのですが、それでも親たちが大ブーイング。いわく「モラルに反する」と。


結局作品は塗りつぶさることに;


 



1915       後の妻ゾフィー・トイバーと出会い、作風が幾何学模様風に変化。


「自己表現」が表にでることを嫌って機械で紙を切ることにこだわっていたようです。


ここでドーンが面白い説を引っ張り出してきました。


 


アレ?これは…



                                                   八卦ってヤツ?


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Week 6 チューリッヒ・ダダと抽象芸術

WEEK 6 チューリッヒダダと抽象芸術



ドーン・アデス教授帰還。



先週はベルリン・ダダのフォトモンタージュを見たわけですが、今回はちょっと時間を遡って、ダダ発祥の地・スイスのチューリッヒにおける芸術を見ていきましょう。


 



チューリッヒ・ダダの芸術は「抽象」のひとことに集約されると行ってもいいでしょう。


例えば、ジャン(ハンス)・アルプ。チューリッヒ・ダダの最重要人物です。


           Jean Arp (Hans Arp). The Navel Bottle from 7 Arpaden. 1923      


the Navel Bottle 1923                                Duo Collage 1918


おさらいですが、ダダは「反芸術」「否定の芸術」と言われるように何かに反発して起こってるわけです。まぁ、元を正せば「戦争への嫌悪感」に尽きるんですが。


ベルリン・ダダのフォトモンタージュは強い攻撃性・批判性を持っていてものっそい分かりやすかったですね。


                                        


                                 Hannah Hoch /Cut with the kitchen nife  


戦渦の中にあったドイツと違い中立国スイスのダダはそんなに焦ってプロパガンダに走る必要はなかったわけです。じゃ、何に「反発」しているのか。戦争そのもの、というより戦争を引き起こす土壌となった今までの慣習や考え方=ブルジョワ(資産階級)文化に対してです。


イメージ的にはアレです、ヴィクトリアンな感じのテーブルを身なりのいい紳士が囲み、お茶を飲みながら絵画や文学について議論する、みたいな。その一方できちんと労働者から搾取し、権力の拡大に力を尽くすことも忘れない、と。


そんなブルジョワな方々が(建前でも)好んだ芸術・教養・そして文化の根底にあるものは


 


1narration (物語性)


2logic(論理)


3individualism(個人主義)


4spiritualism(精神主義)


 (偶然にも聖書を開けば以上のことがすべて見つかります 滝汗)


 


なので当然ダダはこれと逆を行くわけです。


 


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WEEK4&5 ベルリン・ダダ

WEEK4&5 ベルリン・ダダ



先週・今週とドーン・アデス教授がメキシコに旅立ってしまっているので、ドクター・チャールズ・ミラーの代講です。


 


わーい、金返せー。



…ええと、あまりにも内容が薄かったので合併号にしてしまいました。


 



 




上の写真は1920にオットー・ブルヒャルト博士の支援で行われた


第一回ダダ国際見本市(First International Dada Fair)の様子です。


左手の壁にはOtto Dix(オットー・ディクス)の戦争負傷兵の風刺画が、


天井から吊るされているのはドイツ人将校の制服を着た豚頭のマネキンです。首にかけたプラカードには「革命によって絞首刑にされた」とかいてあります。




[ダダはドイツのボルシェビズムである](ヒュルゼンベック)という格言(?)


があるほど、ベルリン・ダダは政治色が濃ゆーくでていました。      それもそのはず、ドイツは先の世界大戦でど真ん中で戦っていましたから。ダダは基本、アンチ・国粋主義者、戦争反対派ですので、こういう


警察に目をつけられつつも、こんなイベントもやっちゃうわけです





戦争反対派アートムーブメントといえば、ドイツ表現主義があげられますね。








しかしベルリン・ダダ創設の中心であるリヒャルト・ヒュルゼンベックは、表現主義を


絵を描くだけで実質的活動をしていない、ゴシック主義だと批判しています。





彼のモットーは「ダダは芸術であることをやめ、外に敵を探しに行く」。


アクティビストを自称してますから。







じゃ、ダダは何をしてたのか、というと、主に雑誌を通して考えを一般に普及させようとしていました。いわゆるプロパガンダです。






Der Dada


Der Blutige Ernst


Almanach der neuen Jugend











検閲により一巻で廃刊に追い込まれた雑誌もありましたが、それでもタイトルを変え表紙を変え、同じような内容の雑誌をいくつもつくっていたようですさらに共産党に入ったメンバーもいました。



そんなわけで、上記の国際見本市はベルリン・ダダの集大成だったわけです。





後半はベルリン・ダダの特徴であるフォトモンタージュを人物紹介とともに


見ていきます。

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WEEK3 芸術と反芸術2

WEEK3 芸術と反芸術2


 突然ですが問題です。



a stigliztb chocolate grinder
c american girl


画像と題名を一致させなさい。


 


1.チョコレート磨研機


2.アメリカ娘の肖像


3.スティグリッツの肖像


 


答えはこちら↓


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WEEK3 芸術と反芸術 

WEEK 3 芸術と反芸術

イギリスはすっかり寒くなってまいりました。
それでもめげずにアイスクリームを食べ続けます。

今日の格言:心はいつも Lost in Dada (By CFB Miller)

cezanne


本日の授業は"反芸術としてのDADA"と称して、ニューヨーク・ダダの
マルセル・デュシャン&フランシス・ピカビアに登場してもらいます。

この二人の悪ふざけ的態度というか、遊び心が行き過ぎちゃったような所が実は大好きです。

彼らのアート/反アートは保守派に受け入れられない所か前衛にまで否定されてしまうのですが…

デュシャンの受難・前編

後に「泉」などのレディメイドで知られるデュシャンですが、もともとはキュビスムの画家であった2人の兄の影響でそっちの方向に進もうと決めていました。…すくなくとも1912までは。

サロン・ド・アンデパンダン展に「階段を下りる裸体No2」の出品を決めたデュシャン。

nude


展覧会当日になっていきなり

兄「スマン、何か実行委員会がダメだって」
デュシャン「Σ( ̄□ ̄;)!! 」

拒否宣告を受けてしまいます。

理由としては、
①未来派っぽいから:(集中線、ダイアグラムのような点線など)キュビズムは未来派を嫌っていました。そんでもって実行委員のAlbert Gleizesはバリバリのキュビストでした。
②タイトルが文学的すぎ:しかも絵に書き込んである(下部)

そして留めの一言

「裸体は階段を下りるものじゃない!寝そべるものなんだ!」

彼は結局、タイトルを変えたら展示してやるとの申し出を蹴って出品をとりやめました。
その1年後、NYの前衛展アーモリーショーで「階段を下りる裸体」は無事展示されるのですが、やっぱりセンセーションを巻き起こし、「裸体」が展示されていた部屋は「恐怖の部屋」などと呼ばれてしまうのでした。


当時のセンセーションからこんなパロディも。
rude



後半へ続く 【“WEEK3 芸術と反芸術 ”の続きを読む】

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