シュルレアリスム実践メモ

学問としてシュルレアリスムを学ぶ管理人が(体を張って)シュルレアリスト・アート、ゲームを実行するブログです。シュルレアリスム初心者から専門的に学ぶ人まで楽しめるようにしたいとおもいます。

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Week12 シュルレアリスムと絵画2

シュルレアリスムと絵画2 -様々な技法ー


昨日初めて任天堂DSというものに触りました


脳トレの結果、自分の脳は57だということがわかりました。  老化じゃないんです、はじめからバカなんです。


 Barnaby BearSo What!?


※画像は今回のエントリの内容とは一切関係ありません。




前回「デ・キリコみたいな具象画油絵は制作時に意識が介入していて、無意識の作用を軸とするシュルレアリスムとしてはどーなのよ?」と、言う議論に触れました。


ってわけで今日は、意識の介在を許さない、つまりは偶然の要素を取り入れた絵画の方法のバリエーションが広がっていく様子を見ていきましょう。


 


①砂絵


まずはアンドレ・マッソン の砂絵(Sand Painting)。


192627年ごろから作られ始めました。


撒かれた砂が予期せぬ形を浮かび上がらせてくれます。ただし結構デリケート。(汗)


André Masson. Figure. 1926-27 Andre Masson /


②フロッタージュ


「こする」という意味のフロッタージュは凸凹のある物の上に紙を置いて鉛筆でこするアレです。マックス・エルンストは子どもの頃、ベッドのパネルの木目に固執していて、後にその訳を探るために床の板目に紙をのせてこすった所、不思議な模様が浮かび上がりました。それ以来彼は自動書記と対等のものとして、好んでこのテクニックを使っています。


切り貼りしてコラージュ風にも。



Max Ernst




③グラッタージュ


「ひっかく」という意味のグラッタージュはフロッタージュの油絵版。


エルンストは森を描くときによく使ってます。


 


Max Ernst Forest and Dove 1927Max Ernst


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Week 12 シュルレアリスムと絵画

Week12 シュルレアリスムと絵画


  シュルレアリスムの授業2回目です。今日でドーンの授業は実質上最後・・・。


来週からはチャールズ・ミラーという若造、じゃなかった若い先生にバトンタッチ。


お疲れドーン!



Sebastian Rabbithttp://www.alincocostumes.com/catalog/


画像は今回のエントリの内容とは一切関係ありません


 前のエントリ①オートマティズム②夢のイメージについてでしたが、今回はそれが言語の領域から絵画に拡大していく時期を見ていきましょう。




(Andre Masson/Automatic Drawing)



①に関してよくあがるのが自動筆記と同等のことが絵画でできるか?


という議論。


 これについてはご存知の通りオートマティックドローイングという方法があります。(上はアンドレ・マッソンの例です)何も考えずに筆をすべらせていく、という方法ですね。


この場合デスノス達がやったような完全なトランス状態にはいってはいません。上の絵ではめちゃくちゃなように見えて女性の胸や、指や羽っぽいものが描かれているのがわかりますマッソンは似たようなモチーフ(ざくろや女性のトルソー)を何回も使うことがあり、最初から最後まで無意識下で描いている、と言うわけでは無さそうです。むしろ、最初は自由連想→そこから沸いたイメージを修正、というメソッドでやってるシュルレアリストがほとんどかと




雑誌「シュルレアリスム革命(La revolution Surrealiste)」第4号にブルトンは「シュルレアリスムと絵画」と題したエッセイを載せ絵画がいかにシュルレアリスム的になるか議論しています。例としてあげられたのはピカソから始まりマッソン、エルンスト、タンギー、ミロなど。


シュルレアリスム的絵画でなくシュルレアリスム「と」絵画ってのがポイントですね。


     


ちなみに、この雑誌、最初は絵画を含んでいませんでした


そのかわり写真は使われていました。


マン・レイのレイヨグラフや、シャドのシャドウグラフなどは、前もって結果がわからない偶然の芸術としてオートマティズムと同等に考えられていたようです


ManRay Rayograph



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2007/01/23の夢

久しぶりの夢日記


1)


学校のトイレにあるXXXを取って来いと言われ一人でトイレに入る。(誰に言われたか、それが何かは不明)仕掛けを解かないと手に入らない仕組みらしいが、何をすればいいのかわからない。


そこへ女の子(と数人の同級生)がきて壁の傷を調べて指を指す。気づかなかったが「setats detinu eht fo nigiro eht」と書いてある。それから、唐突に同級生のうちの一人を十字架に吊るす。


女の子:「だってアメリカの起源はキリストの処刑だったから」。


吊るされている人は結構いやそうだ。(当たり前)


ちょっと目を離すと十字架から降りていた。


「やっぱり、ここは新人のLushyが生贄になるべきだ」と女の子が言い出すと、他の子もそうだそうだと賛同する。別にそこまでXXXに執着してるわけではないので、お断りしてトイレを出る。



2)



祖母の家に行く。雪が降っているのに網戸で、しかも外側にはでっぷり太った黄色と黒の縞の蜘蛛が何匹もひっついている。おじは蜘蛛退治の名人らしいが、この時ばかりは1匹逃がしてしまって祖母の頭の上にのっかってしまった。


祖母は叫んでいるが顔は異様に笑っていた。


 


 


spider


 


シュルレアリスムの幕開け2

シュルレアリスムの幕開け


その2 オートマティズムと夢のイメージ


mister sparkle※画像は今回のエントリの内容とは一切関係ありません


前回、ブルトンがツァラ&DADAを離れたところまでで終わってしまいました。


今回はシュルレアリスムの核となるオートマティズム


それと夢のイメージについて触れていきます。


その前にシュルレアリスムの定義をおさらい。





シュルレアリスム(男性名詞):心の純粋な自動現象であり、それに基づいて、口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気遣いからもはなれた思考の書取り






[オートマティズム]


自動作用=オートマティズムがいつからシュルレアリスムに深くかかわるようになったのか?



ダダが終わりシュルレアリスム宣言が出される以前、ブルトンが雑誌「文学」に書いたエッセイ、Entrée des mediums” (1922) の中に、オートマティズムについての記述があります。


 


1919年、私の神経は、完璧に隔離された状態の中、眠りに落ちる過程で、はっきりと心に浮かぶさまざまな長さの文章に向けられていた。前もってそれらを決定付ける要素も見当たらない状態で。


 


中でも有名なのが「窓によって半分に切断された男がいる」というフレーズ。


眠りに入る直前に浮かんだこのフレーズは彼に付き纏いながらも、圧倒的な存在感を持ちます。実際は窓から上半身を出した男のイメージの焼き直しだったとしても、このフレーズは


視覚的に富み、第一級の詩的要素として衝撃を与えた」のです。もちろんa very special picturesque qualityだけでなく、時にはa strong comical effectを持ち合わせたものができるのもオートマティズムの特徴。





 


んで最初はただメモを取るだけだった実験も1919年には「磁場」(ブルトン/スーポー共著)として発表してます。


ただ「シュルレアリスム宣言」の中でブルトンは作った文章を若干「修正」しようとしてスーポーに止められた、と告白もしています。


 「その点では彼のいうことはもっともだった」(ブルトン反省気味)


 んー、気持ちは分かるけどね。


スーポー君とブルトン君


 


合理性や判断力などを排した状態で、「無意識」に耳を傾ける実験は友人を巻き込んで幾度となく行われました。こちらは、トランス状態に入った人に、そうでない人がインタビューをするという形式です。


 


Q (バンジャマン)ペレについて何を知っている?


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Week11 シュルレアリスムの幕開け

Week 11 シュルレアリスムの幕開け


その1 ダダからシュルレアリスムへ



楽しい冬休みも終わってしまいましたね。


私Lushyは何とN.Y.に行っていました。


ええ、ビッグアッポーです。アメリカ美術のクラスの一環で大学の学部が主催する旅行です。もちろん美術館めぐりの旅だったんですが、まぁ生徒にとってはタダでアメリカに行ける事のほうが大事なんですよ(ごめん教授陣)。


ショッピングしたり、食べ歩きしたり、ジャズバーにいったり。(一般生徒)


落書きだらけの廃墟を見たり、美術館で彫刻にガンつけられたり。(自分)


落書き廃墟       evil kid in met


まぁ楽しみ方はひとそれぞれですね。


 


さてすっかり休みボケしてましたが 2学期はじめての授業です。


つまりシュルレアリスムの授業第一回目


前期では(ドーンのメキシコ出張により;)すっ飛ばされてしまったパリ・ダダから始めましょう。


 


シュルレアリスムはダダの灰の中から生まれた」と言われていますが、2つの性質は似て非なるもの。


否定的態度の反芸術から無意識・夢を中心とした芸術(もしくは哲学)にどう昇華していったのか?



まずはツァラのダダ宣言が出た年「1918」。


この年はアポリネールが死んだ年でもあり、またチューリッヒとニューヨークで別々に活動していたツァラピカビアがコンタクトを取り始めた年でもあります。また、ダダがパリにも飛び火し、宣言を読んで感銘を受けたアンドレ・ブルトン(当時22歳)がツァラに熱烈ラブコールを送ります。


歴史的には第一次世界大戦が終わった年でもあり、チューリッヒの亡命者は今や自由に動けるようになりました。(皮肉にもそれでチューリッヒ・ダダは弱体化してしまいます)


ピカビアのすすめもあり、ツァラは1920年にパリに移り、雑誌文学Litteraturaの編集をしていたブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポーに出迎えられます。



文学」…反芸術・アナーキズムを追求するダダの中にあって何ともそぐわないタイトルです。


既成文学に対する皮肉の意味もあったかも知れませんが、ロートレアモン、アポリネールなどに敬意を表していたことは事実で少なくともピカビアの「391」やツァラの「DADA」よりは、文芸的であったことは否定できません。)


そんなこんなでツァラ&「文学」グループはパリ・ダダとして活動を開始しますが、翌年の「モーリス・バレス裁判」事件で決裂してしまいます。


 


Andre Breton/Paul Eluard/Tristan Tzara/Benjamin Peret


↓続く

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