Week 15 シュルレアリスムと写真
Week 15 シュルレアリスムと写真
レポート&試験期間中真っ只中です。みんな気が立っていて、ピリピリした空気を感じます。ちょっとでも暇なそぶりをみせようものなら…。

そんなテンション張り詰める中 授業参加者数8人という最小記録を本日更新しました。(これからまた減っていくと思われ)
さて 今日は写真です。シュルレアリスムと写真。

Man Ray/ La Marquise Casati
1978年、ロンドンのヘイワードギャラリーでDada&Surrealism Reviewedという展覧会が行われました。キュレーターは我らがドーン。そうです、Undercover Surrealism が生まれる元になった展覧会です。
何が見直されたか(reviewed)というと、絵画でなく機関誌や写真を中心に企画されたこと。「シュルレアリスム革命」には始め、絵でなく写真が掲載されていたことを考えるとまさに 原点でありながら盲点であった資料にはじめてスポットを当てた展覧会と言えるでしょう。
(雑誌「シュルレアリスト革命」は科学雑誌「La Nature」の表紙構図をパクり、写真をイラスト代わりに載せることで偽科学的/学術的側面を打ち出そうとした)
写真にはシュルレアリスム絵画であったようなオートマティスムVS夢のイメージという対立構図はありません。むしろどちらの側面も包括していると言えます。
写実的な夢のイメージに近いことは分かるけど、抽象の多いオートマティスム にどこが似ているのか?
ロザリンド・クラウスは写真を現実の痕跡として扱っています。つまり「指紋や足跡、テーブルに残るグラスの後」のようなもの。「シュルレアリスムの写真的条件」の中で、I絵画はICON(類似記号),写真はINDEX(指標記号)であるとし、その性質上の違いを明確にしています。
ICON(類似記号)とは、記号とその対象物が似ていて、その記号が対照物を想起させる関係。その名の通り宗教のイコンが例。
INDEX(指標記号)は、記号と対象物の間に因果関係が無くてはいけません。足跡、煙と火、など。
つまりINDEXにおいて、記号は対象の痕跡です。火のないところに煙はたたない、というとおり、まず対象(実物)があって初めて成立するものなのです。ICONにおいては対象が存在するかは問題でなく、また存在したとしても記号と対象の関係は表面上の類似にすぎません。
写真が現実の痕跡であるように自動筆記も思考の痕跡。
"Automatic writing...is a true photography og thought"(Breton)
Eli Lotar
写真のもつ記録的側面、現実の転写という性質が絵画には無い魅力です。クラウスの例えるところの"deposit of the reality".これにシュルレアリスト的操作―クラウスはSpacingと呼んでいますが―を加えることで、ただのリアリズムから脱却するという仕組み。Spacingとは現実から同時性を奪うこと。ある一点、異視点から物をみるということで隠された意味が浮き上がってくるのです。
「操作」には、切り取る、拡大する、明暗を使う、多重露光、ネガを使う、鏡を使う、など色々ありますが、ダダのようなフォトモンタージュは「余白」がせっかくの現実性を邪魔するため、あまり好まれません。

↑Man Ray ↑Karl Blossfeldt ↑Andre Kertesz

↑Dora Maar ↑Man Ray ↑Claude Cahun
もちろんまったくの加工なしの写真でもシュルレアリスム的になりえます。資料としての写真、スナップ、映画のスチルなど…。クラウスはそれらの写真こそシュルレアリスムの核心に近い、言います。
次回、アチェやボワファールの写真を検証です

