Week15 シュルレアリスムと写真2
Week15 シュルレアリスムと写真2
前回はいわゆる「操作」が加えられた写真を紹介しました。今回は一見普通に見える写真のシュールな魅力についてみていきます。
ボワファールとアジェのパリ・都市のラビリンス
ボワファールはバタイユのドキュマンの写真で有名ですが、今回はブルトンの「ナジャ」の写真を取り上げます。パリが舞台となるこのノンフィクション小説はところどころに彼の写真がイラスト代わりに散りばめられています。そのほとんどがパリの風景であり、この小説の主人公は実は都市そのものなのだと思うほど。ナジャは、ブルトンが「ナジャ」という不思議系女性と出会い、惹かれ、そして別れるというそれだけの話なんですが、アンカニーなことがたびたび起こるわけです。イラストでなく写真を使ったのもそこにドキュメンタリー性を持たせ、フィクションとの差別化をはかろうとしたためだと思われます。ブルトンもナジャもパリに住んでいながらどこか冷めた目でパリを見ている節があり、ボワファールの人のいないパリの風景写真は彼らの目からみた「もう一つのパリ」といえるでしょう。
右上の窓に見える人が銅像と同じポーズをしてるように見えて気味悪!↑
ウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget)の写真は、古きよきパリの風景を撮影した、記録写真としても価値のある作品です。ボワファールの写真と同じくパリは人間が姿を消し、閑散とした姿をみせています。(もちろん人がいるのもありますが)シュルレアリスムのコンテクストで良く出てくるのがコレ↓
Eugene Atget
ボワファールもアジェもパリを華やかな都市でなく人に「見捨てられた町」として写真に留めているだけでなく「マネキンや銅像に取り付かれた都市」として表現しているのが面白いところ。彼らの表情やポーズは活き活きとしていて、かつ不穏な静寂を留めています。
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自然物
何気ない自然物も写真に取ることで、元のコンテクストから離れて奇妙に見えることが。科学雑誌のような学術的側面と、現実から離れたフォームレスのアイディアが同居するこのスタイル、良くとりあげられます。
Man Ray Dead Leaf
Boiffard
Dora Maar
↑ウビュの肖像と題が付けられた、アルマジロの子どもの写真
テキストと写真
論文や記事に挿絵としてついた写真のそれ自体の芸術価値はあるのか?難しい疑問ですが、十分あると思います。ドキュマンやシュルレアリスム革命の写真を見てみましょう。普通のSubject(主題)ですらどこかおかしな、あるいは不気味な雰囲気を漂わせていますから…
Eli Lotar
論文「屠殺場」の挿絵。牛?馬?の脚が並んでたたずむ様子はそれだけでアンカニー。

論文「足の親指」。足を写しているが、マンレイのようなフェティシズム要素、理想化要素は薄れて、暴力による変形、脅威、気味の悪さを想起させる。
まったくの操作がされていない写真でもアンカニーになる要素はたくさんあります。それは写真が現実を写す鏡(ダブル)であると同時に、全く人間の目が見る姿と同じには写らないからです。我々は実物がなくなっても存在し続ける「複製」にどこか脅威を感じてしまうのでしょう。
Papin Sisters After and before the crime




