Week16 シュルレアリスムと女性
Week 16 シュルレアリスムと女性
クラスが休みだった先週のうちに話題のシュヴァンクマイエル展のレポでもUPするかな、と思ってたら体調崩して何もしないまま今週に(汗)。近いうちにがんばって更新しますわ。
The Rape/Rene Magritte
シュルレアリストは性差別者か?
フロイト主義で男性中心のシュルレアリストグループにおいて女性はこの絵のように欲望の対象でしかないのでしょうか?これはブルトンの「シュルレアリスムとは何か」の表紙にもなった絵ですが、表紙がそのままタイトルの答えになっているとしたら・・・ものすごくシュルレアリスムが単一的で薄っぺらなものに誤解されてしまいそうです。
もちろんシュルレアリスムは「男(芸術家)→女(対象)」の一方通行だけではありません。今回はシュルレアリスムにおける男性と女性の関わりを4つの段階にわけて見ていきます。
LEVEL1:オブジェクトとしての女性
まずは一番わかりやすい欲望の対象としての女性像。男性の視点でみた女性の体はしばしば、部分化され、誇張され、または抽象化され、エロティシズムやフェティシズムを意識させる姿になります。また、女性=受動者、犠牲者という見方をされるのもこのグループの特徴。モデルはアーティストの妻やパートナーであること多し。

↑Unica/Bellmer ベルメールのパートナー、ウニカの緊縛写真

↑Man&Woman/Giacometti 抽象でもわかる男女の関係

↑Homage to Mack Senetto/Magritte 文字通りオブジェクト化された体
あとは、アンダルシアの犬なんかもここに入りそうですね。
LEVEL2:インスピレーションの源泉としての女性
しばしばミューズ(女神)、ファムアンファン(子どものような心を持った女性)、ファムファタール(運命の女、悪女)などに例えられる女性像です。やはりパートナーを描くことが多いです。ただし上にあげたすべての素質を持つガラは、夫であったエリュアール、ダリのみならずその他のシュルレアリストにも霊感を与えていたよう模様。オブジェクトとしての女性よりも扱い良いもののやはり男性視点なことは変らず、しばしば理想化されて描かれます。

Leda-Atomica/Dali 神々しいガラと白鳥の姿のゼウス/ダリ

Breton 自動筆記実践中のブルトン。背後の女性が霊感を与えている?

不思議な女性ナジャとの出会いはブルトンの生涯で一番刺激的な出来事だったはず。
と、ここで少しシュルレアリスムの性に関する矛盾点を。
1つ目は 女性嫌悪的な側面と女性賞賛的な側面:
女性の肉体を貶めているかのような表現をしつつ、その自由な精神から詩的霊感を受け取ろうとしていたという2つの相反する態度が運動の中にも個人の中にも存在します。(女性は男性よりも理性に捕らわれていないと考えられていた)。前者のサディスティックな暴力性はバタイユの感性に近く、後者の感受性はブルトンのものに近いんですがね。Simone de Beauvoir は「第二の性」において「女性神話」を検証し、女性を「昇華」しようとするブルトンをやり玉にあげて批判しています。
女には愛以外の使命はない。しかしだからといって女が男より劣ると言うことはない。男の使命もまた愛だからだ。しかし問題は、女にとって愛は美の発見と世界のへの鍵になるかと言うことだ…女は男にとって詩情であるが、女が女自身にとってもそうであるかは明らかにされていない。ブルトンは女を主語として話しているわけではない。<第二の性>
2つ目は 家父制的社会に対する対抗心:
運動としては、会社、家族、キリスト教など家父制が基盤となる規制の価値観に反発していたシュルレアリスム。中でもブルトンが嫌っていたのは家族、会社、国という単位の中の3P(父親=Pere,上司=Patron,祖国=Partie)。しかし、グループはやはりMan's Clubというレッテルからは逃れられませんでした。 やはりまだまだ男性中心で女性は見られ、描かれ、撮られ、愛される対象です。しかし男性シュルレアリストに一足遅れること1930年代頃から女性シュルレアリストの活躍が目立ちはじめ、性に関する観念も変ってきます。それにより女性が表現されるものでなく、表現するものという認識が生まれます。
続くー

