シュルレアリスム実践メモ

学問としてシュルレアリスムを学ぶ管理人が(体を張って)シュルレアリスト・アート、ゲームを実行するブログです。シュルレアリスム初心者から専門的に学ぶ人まで楽しめるようにしたいとおもいます。

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ダリ-ダブル・イメージと偏執狂的批判的方法-

ごぶさたしてます。
蜂の巣を洗濯物ごと取り込みそうになったlushyです。
夏は虫が多いのがイヤですね。
まぁ、すぐ窓を閉めたので大事には至りませんでしたが、行き場を失った蜂達が近所の工事をしている方々のところへ飛んでいったのが心残りです。刺されてないと良いんですが。

  ダリ
-ダブル・イメージと偏執狂的批判的方法-


 さてさて前回の続きになります。
ダリ著作のミレーの「晩鐘」の悲劇的神話で取り上げられている、偏執狂的批判的活動を見ていきましょう。

angelus


ご存知の通りダリは繰り返し絵画の中でミレーの「晩鐘」のモチーフを使っています。
そりゃぁもう憑かれたように。
では、そこまでパラノイアックになってしまった理由とは何なのでしょうか?
それは、彼が「晩鐘」に私たちの想像を絶するぶっちゃけ訳わからない意義(significance)を感じ取ってしまったからです。
そしてそれこそ彼が「偏執狂的批判的解釈」と読んでいるものです。

まず偏執狂的批判的活動に至るメカニズムを簡単に書いてみました。↓

1)1次的錯乱 
で「晩鐘」の漠然とした大きな意味を感じ取る。

「晩鐘」に注意が向き、それ以降の偶然・状況の一致(どんなに小さなものでも)を察知するようになる。

2)2次的錯乱現象群
具体的な個人の体験、寓話、実験などが、(①で感じた)「晩鐘」の持つ意義を裏づけしているように関連付けられる。

つまり、どんどん共通点を見つけてしまい、それがスパイラルになっていく、と。
いやー、ドツボですね。

ではダリの偏執狂的批判的活動を具体的に見ていきましょう。

1)1次的錯乱
何でもなさそうな風景の中で「何か」が起こっているという確信を持つ。↓
・美術史史上あり得なかった独創的コンポジション。
「立ったまま」で「動かず」、「コミュニケーションを取っているわけでもない」男女。
・開拓時代のフォークロアイメージの発見→女性による男性の去勢、 
農民的エロティシズム→原始的/太古回帰的

folklore
開拓時代のフォークロアイメージ

・X線写真によって明らかになった2人の間の棺(に見えるもの)=息子の死?

以降、「晩鐘」のイメージが前触れもなく現れるようになる

           ↓
2)2次的錯乱現象群


①小石遊び
浜辺の石を集めていると、「晩鐘」のカップルの姿勢をとった小石が2つ見つかる。
前傾した女役の石に比べ、男役の石は小さく穴だらけである。(女性による男性の去勢という一次的錯乱を補強)
化石としての「晩鐘」のイメージができる(夕暮れの太古回帰を補強)

dali_archaeological_reminiscences_of_millet
晩鐘の考古学的回想/化石のような「晩鐘のカップル」

②3つの想像
-a. クレウス岬:
クレウス岬(メンヒルと呼ばれる奇妙な立石で有名)にある岩に「晩鐘」の二人の彫刻があるのを想像する。上と同じく、想像の中で男性像は風化され原形をとどめていなかった。
(男性の去勢、夕暮れの太古回帰)

雨後の隔世遺伝
雨後の隔世遺伝の痕

-b.夕暮れの自然史博物館の夢想:
ガラと夕暮れ時に自然史博物館を訪れる。なぜか昆虫展示室には「晩鐘」のカップルの彫刻がある。出口を出てガラと野性的な性行為に及ぶ。(夕暮れの太古回帰)
※ダリは幼いころ原始の恐竜たちが夕暮れの世界を歩いているところを夢想していました。夕暮れのノスタルジアはそのまま太古回帰的要因として、昆虫は地球上の「原始的な」生物として表現されています。
ダリが性行為を古代の動物たちの持つ獰猛性・残忍性に繋げて考えていたことがわかります。(→カマキリの姿勢へ)


-c.タブローを液体に浸す実験:
想像の中で著名なタブローを液体に浸す実験の中、「晩鐘」を生温かいミルクに半分浸すことを思いつく。①や②-aの「エネルギーを取られた男性像」連想から、ミルクに浸されるのは男性以外考えられない。(ブルトンやラカンらもダリの考えと同一だったらしい。)
(→カンガルーのイラストのパラノイアへ)

③コーヒー・セットのパラノイア
ポルト・デラ・セルバ村で、晩鐘のイラストが入ったポットと12個のカップを見つける。強迫的な反復現象はダリに、一匹の雌鶏と12匹のひよこを思い起こさせる。
ポットからコーヒーをそそぐことによって、カップは象徴的な意味で「食べられる」存在になる。息子をおびやかす存在としての母親像ができ、晩鐘と関連付けられてきた「女性による男性の去勢」という図式から「母親による息子の去勢」となる。

上記の村の名前から、幼いころ読んだ小説「ポル・デラ・セルバ物語」の挿絵を連想する。特に印象強かった挿絵は服のはだけた母親の絵だったが、それはダリのエロティックな想像を刺激した。そしてそれはそのままオイディプス的な母親像を連想させる。(言語的な偏執狂的批判的活動)

④カンガルーのイラストのパラノイア
②-cから生まれたパラノイアであると思われる。
 ダリは幼いころに見た動物の絵本の挿絵から、カンガルーの子供はミルクに満たされた母親の袋の中で育つと思っていた。その挿絵では、子供がミルクの中で溺れそうになっているように見えた。
つまり、ミルクとは養分と毒性を持つ母親のシンボルであり、それに侵され無化される息子のイメージへと繋がる。

④サクランボのリトグラフ
黄色がかったサクランボのリトグラフを、一瞬「晩鐘」の絵葉書と取り違えてしまう。
ペアになっているサクランボと「晩鐘」のカップルが重なる。

lenin
ピアノの上の6つのレーニンの出現/強迫的反復とさくらんぼ

⑤カマキリの姿勢
ダリは、「晩鐘」の女性のポーズを、カマキリ(praying mantis=拝む昆虫)とだぶらせる。カマキリは交尾後(もしくは最中)にパートナーを食べてしまうことで知られているが、それは「母親(女性)による息子(男性)の去勢」というアイディアを裏付けることになる。

夕暮れの隔世遺伝 1934
夕暮れの隔世遺伝/死のイメージを持った男性

また「強制状態化におかれたカマキリでないと交尾中の食事はありえない」という、昆虫学者の忠告も逆手に取り、「道徳によって締め付けられた農民」をまさにそのような状態に置かれたカマキリだとし、婚礼中の食事のセオリーを立証している。
※この背景には、母親の厳しい教育によって性的に抑圧されていたダリの幼少時代と関係があるかもしれません。


<「晩鐘」の男性像の方は私にとって、母性的要素、つまり母親の生温かさの中に飲み込まれ、溺れ、死にかけている男性のイメージを表している。(鈴木雅雄訳・ミレー<晩鐘>の悲劇的神話)>

また、カマキリ(キリギリス類)はもっとも古い生物の中の一つであり、その原始的な風貌と習性から、「晩鐘」に伴う「夕暮れの太古回帰」にも関連付けられる。
(※ダリがキリギリス類に嫌悪感を抱いていたのは有名ですね)
つまり、このカマキリのパラノイアは、ダリが「晩鐘」に関して持っていた2つのテーマを集約している。


以上、ダリの偏執狂的批判的活動の要点です。
えー、自分で書いといてなんですが、わかりづらいです。(どーん)
しかし本文「ミレーの晩鐘の悲劇的神話」はそれ以上に難解であります。(どどーん)


穴の開いた岩、夕暮れの風景、俯いた人影…
他人が見れば、1つ1つは何の変哲もないモチーフですが、これらが偏執的なまでの妄想の連鎖によって意味づけられたものだとしたら…
ダリの絵を見る目も変わる…かも?
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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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