シュルレアリスム実践メモ

学問としてシュルレアリスムを学ぶ管理人が(体を張って)シュルレアリスト・アート、ゲームを実行するブログです。シュルレアリスム初心者から専門的に学ぶ人まで楽しめるようにしたいとおもいます。

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ダリ-ダブル・イメージと偏執狂的批判的方法-

大分更新サボってましたが、どこで終わりましたっけ?
え?まだダリやってるの?


             ダリ
ダブル・イメージと偏執狂的批判的方法-

はい、前回からの続きですよ。
と、言ってもあまりだらだら続けても何なので、前のエントリの補足程度にしておくつもりです。

こないだのエントリでは、ダリが「晩鐘」に固執する理由として幼児時代の原風景やら彼の妄想やらが連想ゲーム式に繋がって「晩鐘」が偏執的な意味を持ってしまった、説明したと思います。

で、それが偏執狂的批判的方法と呼ばれるものであります。
妄想するダリとそれを批評する(分析する)ダリがいる、と考えてもらうと分かりやすいかと。

ダリの作品はよく言われるように「何か意味がありそー」な絵画が多いんですが、その意味や象徴はめちゃくちゃ個人レベルのものですので、普遍的な象徴学の知識で見てもあんま役には立たないいです。一番いいのはダリに解説をお願いすることですがそうもいかないので、面倒くさいですが私たちは本人の書き残したものを見ましょう。

まさに、ダリの作品は本人の姿のない自画像、自伝的要素満載

スペインのダリ博物館に行った時、一緒に行った女の子が素描を見て

「これってどーゆう精神状態で描いてるの?」

と、キッツイ一言をかましましたが、今振り返ればすごくまっとうなコメントかと。

実際、ダリは自分の不安定な精神状態の管理のためにフロイトを勉強し始めたと言われています。
シュルレアリスムを通してフロイトを勉強し始めたわけではなく、
症例研究を通して自分自身の「症状」「病因」を探ろうと考えてたわけです。
が、次第にダリはフロイトの理論に、というかフロイトマンセーな感じのシュルレアリスムに限界を感じ始めます。
結局彼は、フロイトの用意したレディメイドの「神話」の中には自分の症例の答えはないと気づいたのです。

既製品でぴったりの服が見つからなければオーダーメイドにするだけです。
ただし、既製品を「参考」にしつつ。

自分の症例を自分で解釈する、つまりフロイト(分析者)と患者の役をどちらもこなしているんですねー。

別にダリはフロイト理論に反対したり酷評したりしているわけではなく、むしろそれを消化(昇華)して新たな「神話」を作りました。
でもそう考えると、フロイトの理論はどこまで医学的なのか怪しいですね。
だってダリにできたんだし。(超失礼)

で、ダリはダリで分析者の側に立ってみて
「精神分析って精神病の治療法としてはどうよ?」と思うようになってきます。
フロイトの治療法の第一歩は患者の「症例」の「起源」を探ることですが、
ダリの場合、時間軸を無視してあらゆる出来事を結び付けようとするので無限連鎖ができてしまい、行き着くべき定型の原風景がないのです。
事実、ダリは精神分析のことを「天才的なまでに体系化された錯乱」と見ていました。

まぁ とにかくダリはウィリアム・テルなど、フロイト的神話俺バージョンを考え出し絵画にしていくわけですが、フロイトに対する一種の対抗意識というか、少なくとも「神話の語り手としては劣っていないぞ」っていう態度を感じるのは私だけでしょうかね…?

まぁ、だからこそ彼はあえて偏執狂的(以下略)を説明するのに
「ミレーの晩鐘の悲劇的神話」という言葉を選んだのだと思いますし。

ダリが本当に望んだのは神話の絵画化でも、自伝的絵画でもなく、人生全体を神話的芸術にすることだ、と言う人もいます。

真相はわからないですがもしそうだったとしたら彼の狙いはばっちりですわ。
特に美術研究家の中では彼の存在は色んな意味で神話ですからね。


そんなわけで、マニア受けもよさそうなダリ回顧展、めっちゃ楽しみであります。
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テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

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