シュルレアリスム実践メモ

学問としてシュルレアリスムを学ぶ管理人が(体を張って)シュルレアリスト・アート、ゲームを実行するブログです。シュルレアリスム初心者から専門的に学ぶ人まで楽しめるようにしたいとおもいます。

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Week 10 デュシャンの大ガラス

Week 10 デュシャンの大ガラス


なんと、今週が最後のダダの授業であります。早いなぁ。


最後のエントリーを飾るのは空前絶後の問題作、マルセル・デュシャンの未完の大作 


彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」通称「大ガラス」 


                      La Mariee Mise a Nu Par Ses Celibataires, Meme (仏)1915-1923


 これの何がそんなに問題視されているのか。         ガラスという媒体偶然の要素(ホコリや弾痕、ヒビ)の利用など色々反芸術的要素(デュシャンはこの言葉を好みませんでしたが)が見受けられますが、当時一番衝撃的だったのはAnti-retinal(反網膜的)な態度でした。その字の通り目で鑑賞するものではなく、思考や概念を巻きこんで成立する芸術―今では珍しくありませんがコンセプチュアルアートです。しかしその背景にある概念の複雑さは今なお多くの学者を悩ませています。まぁ、デュシャン本人が言うには


答えなど無い。問題自体存在しないのだから


だそうですが…。



1934年にできた グリーンボックス


これとあわせて初めて大ガラスという作品は成り立つと言われています。


が中身はダヴィンチ・コードも真っ青も難解なメモ


ただしこちらは作品の「解釈」でなく数学的・科学的な「解説」です。まさに機械の取り扱い説明書。


よくみると大ガラスに描かれたオブジェ(登場人物)たちは今までのデュシャン作品に出てきたものばかりです。


花嫁チョコレート摩擦機etc)


しかし、ここではオブジェたちは機械的な役割を与えられます。


題の示す花嫁と独身者の物語がここでは演劇的なものでなく、機械的プロセスによって表されます。細部にいたるまで名称と機能が書かれていますが、ここでは割愛。


 


上部の吊るされた花嫁と下方の独身者(9つの制服を模した鋳型)の間の性的物質の循環を描いていますが簡略化するとこんな感じ。


 ↓


花嫁の愛のガソリン(貯蔵庫に蓄積されている)がモータに分配され電気スパークが起こると裸体化が開始。また雲のような形の高所の掲示から照明用ガスが噴出され、独身者たち―空っぽな9つの雄の鋳型―を満たす。照明用ガスは鋳型にとどまりきらず、毛細血管を通りグライダーに流れる。独身者たちの満たされない欲望を混ぜ込んだガスは7つの濾過機(円錐型)を通り爆発液となり、さらに眼科医の証人(円形)を通して精製され花嫁の領域に昇る。(9つの弾痕がその痕跡)しかし花嫁と独身者たちの直接的な接触は無く、花嫁は文字通り「宙吊り状態」のまま、独身者たちは欲望をみずからチョコレート摩擦機で満たそうとする。このように花嫁と独身者たちの領域には超えられない膜が存在している


 本当はもっと複雑なのに、これだけ簡略化してもややこしいってどうよ; 


          


不思議な空間


大ガラスには2つの領域花嫁のもの独身者のもの―があり、真ん中の仕切り(脱ぎ捨てられた花嫁のドレス)によって隔てられています。


この2つの空間の対比が結構おもしろいのです。


まず独身者の領域が100機械的なオブジェで満たされているのに対し(直線、正確な円)、花嫁の領域は比較的有機的な形を保っています。(昆虫/植物のような花嫁,雲


更にキュビズム的な形の花嫁のいる上の領域には奥行きがなく


レディメイド的オブジェの並ぶ下方には、強調されたルネサンス的遠近法が適応されています。1点透視法てヤツですね。 Albrecht Durer



そのおかげか大ガラス下方のオブジェはガラスの向こうに本当に存在するかのようにも見えます。


ちなみに2次元を3次元に見せるトリックは、遺作1,2,照明用ガス が与えられたとせよ)の3次元を2次元に見せるトリックとは反対。うーん、反網膜的とか言っときながら結構オプティカルな遊びが好きだったお茶目なデュシャン。


こんなのとか作ってるしね!


 とにかく 独身者たちの領域が世俗的な次元、花嫁の領域が(神に近い)高次元と考えるとつじつまがあってくるかも知れません。ルネサンスの宗教画と比較すると面白いです。


          


                マサッチオの三位一体(1426-28



この絵、天井の模様がはっきり見えるので下から見上げている構図のようにも見えますがそうだとするとキリストの背後にいる神が真正面を向いているのはおかしいのでは?


いやいやいいんです、神様に遠近法なんてルールは通用しないのです。


それじゃ大ガラスの花嫁=神なのか?それよりは聖母に例えるべきでしょう。


 ちなみに大ガラスの構図はよく聖母被昇天の図と比較されます。                            


                   ティツィアーノ 聖母被昇天 (1518)


天に召される聖母マリアと下に群がる男ども、じゃなかった使徒たち




大ガラスでは上の領域が 浮遊・上昇といった動きに支配されているのに対し、下の領域は回転・螺旋に支配されています。


 更にデュシャンは3次元は4次元の影であるという理論を支持しており、この作品も別次元にあるオブジェの影だとみることができます。


 


ちょっと長くなりそうですので、この辺で一旦カット。


次は補足として「大ガラスの錬金術的シンボリズム」について。


 


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